緒言 

 

 組踊の「脚本」が出来た当時は普通に読めたのであろうが、現代の沖縄人がこれを読むのは英文を読むよりもはるかに難しい。それなりの規則があって書いたと考えられるが、現在の人がこの規則を理解することはきわめて困難である。「沖縄伝統組踊集」という本がある、これを普通に読める人が現在の沖縄県にいったい何名いるだろうか。この本の編集にたずさわっていた人たちでさえ組踊の脚本を正確には理解できてはいなかったと思われる。1982年でそうなのだから現在は想像することもできない。これを現代の沖縄人でもなんとか読めるようにしようと考えたのがこのサイトである。琉球語のわかる人たちには普通に読めるはずである。琉球語の分からない人たちでもアクセントを無視すれば読むことが出来る。組踊の脚本は首里言葉が基準になっている。私は「沖縄語辞典」を「漢字かな交じり表記」に直した「琉和辞典」を作成した。そのおかげで組踊の脚本を現代の沖縄人でも普通に読めるように「漢字かな交じり音声表記」にすることが出来た。もし「琉和辞典」の作成に取り組むことがなかったら「組踊の脚本」のサイトは存在していないだろう。「沖縄語辞典」は首里言葉が基準であり、組踊の脚本からも多くの言葉が採集されている。採集されなかった語も相当数見受けられる。多分語義が特定できなかったのであろう。意味が分かれなければ辞典に載せることはできない。このサイトでは助詞・助動詞・感動詞以外は、全て漢字に直すよう努力した。意味が分からなければ漢字に直すことは出来ない。私の解釈がどれほど正しいかは分からないがそれほど間違ってはいないはずである。ということは間違いも多分にあるということだ。うっかりミスも充分にありえる。組踊の脚本を見て感じたのは作者でさえ意味が分かっていないと推測できる語が多いということである。(漢字に直せるほどには意味を理解していないということ。)意味が分かるのであればどうしても漢字で書くはずであるがひらがな表記があまりに多すぎる。語義が不鮮明なために漢字で書けなかったと推測できる語が多すぎる。発音に関してはなおさらである。作者自身どう発音すべきなのかよく分かっていないと思われる語が多いようである。発音は時代と共に変わり、どれが正しい発音なのかを決めるのはいつの時代でも困難である。たとえば、「り」は「い」に変化しつつあった。「てぃやり」と「てぃやい」は同じ語でありどちらが正しい正しくないという意識はなかったと思われる。このサイトの発音は当時とそれほど大きくは違っていないはずで、むしろかなり正確に再現していると考えたい。そもそも当時の発音を忠実に再現するのが目的ではない。歌舞伎のセリフは江戸時代のものであるが、発音は江戸時代を再現していはいない。念のために、一つの語でも複数の漢字を使用して、表現の可能性が広いことを示した。組踊は大和言葉からの採用が多く、それをどう発音していたのかも興味深い。大和風に発音していたのか、あるいは、琉球語風に発音していたのか。作者も演じる人たちもとまどったと思う。「組踊の脚本」は写本として伝わったようであるが、書き写す場合の誤りがかなり多かったようである。「沖縄伝統組踊集」を見るとそれがよく分かる。とにもかくにも「組踊の脚本」は分からないことが多すぎる。それを何とか分かるようにと努力したのがこのサイトである。私には間違いが多々あると思われるが、それは後世への宿題として、とりあえず現在はこれが私の限界であるとしたい。なお、「花売の縁」と「執心鐘入」は、玉栄清良氏の「平敷屋朝敏の文学」を、その他は、沖縄組踊普及会編の「沖縄伝統組踊集」を参考にした。

 

 仲原善忠著、岩波講座「日本文学史」(昭和34年)第16巻「琉球の文学」の「組踊と脚本」を引用しながら組踊についての解説をしたい。この論説の最後を仲原氏はこのように結んでいる。「(組踊の脚本は)借り物、焼きなおしが多く文学的に価値のある作品はなかったので、現代の青年に魅力のあるは筈はなく、文化遺産としての研究対象となるだけである。」仲原氏は「文学的価値がない」ではなく、「なかった」としている。これは、後世の人たちが文学的な価値を見いだす可能性があるとも解釈できる。執筆当時は、戦後13年であり日本人自身が日本文化に対しての自信を喪失していた時代であった。沖縄はアメリカの占領下にあり、本土復帰などは夢のような時代であった。組踊が「重要無形文化財」に指定され、国立の組踊劇場ができることなど、当時の仲原氏には想像もできなかったことだろう。さて、組踊は、自然に成長し発達したものではなく、玉城朝薫という一人の人物が創始したものである。朝薫は大坂で2回、伏見で1回、江戸で1回、「人形浄瑠璃」を見たという記録があり、江戸では1回「能」を見たという記録がある。歌舞伎を見たという記録は残っていないがおそらく歌舞伎も見たと推測される。「組踊」は「能」よりも、「人形浄瑠璃」・「歌舞伎」に近い。江戸から帰ったあと、朝薫は躍奉行(おどりぶぎょう)に任命される。中国からの使者・冊封使の余興係である。その余興として作られたのが「組踊」である。役者は素人でもよく、特に長い訓練を必要としなかった。朝薫の作品は、「執心鐘入」、「孝行の巻」、「二童敵討」、「銘苅子」、「女物狂」の五番である。「孝行の巻」以外は「能」の焼き直しである。「執心鐘入」は「道成寺」、「二童敵討」は「小袖曽我」、「銘苅子」は「羽衣」、「女物狂」は「桜川」からの改作である。「執心鐘入」が処女作のようであり、日本文学から、語句、比喩を借り語法も導入している。他の四作は、おもろ式の対語・対句を使用している。対句というよりもほとんど繰り返しに近く、聞き手には「強調」と受け取られたかもしれない。朝薫のものは、3、40分で上演できるようにまとまっており、「序・急・破」があり、上演には手ごろである。実際に「能」・「人形浄瑠璃」を見ているので演出技術は他に抜きん出ていた。「大川敵討」には庶民の口語言葉が登場する。話し言葉を初めて採用したのは「花売の縁」である。時代背景はほとんどが按司時代となっている。これは首里王府への批判を避けたためであろう。現在確認できる作品数は約60であるが、実際に上演されているのは十数編だけかもしれない。以上が「組踊」のおおまかな解説である。

 

 以後は私の意見である。「組踊の脚本」を読んでこれは遠い昔のことであり現在の我々とは全く別の世界の出来事であると思ってはならない。まわりの風景・事物は変わっても、人間の精神、内面の世界は全く変わってはいないのである。「組踊」の世界は、儒教的・封建社会である。身分制度・上下関係が徹底していた。はたして現在の世界はどうであろうか。「組踊」の世界よりも封建的な社会なのではないか。会社の社長、政治家までが世襲制であり、我々は正当な労働の上に正当な報酬を受けていると錯覚しているが、実は封建社会同様に「搾取」されているのである。現在の世界の上下関係は「組踊」の世界を圧倒している。パワハラ・セクハラ・アカハラ、〜ハラ、〜ハラ、これらは全て上下関係によるものではないのか。上下関係が原因で精神が崩壊する人たちがいったいどれぐらいいるだろうか。「女物狂」の中で、子供を誘拐され頭がおかしくなった母親のセリフである。「思(う)み尽(つぃく)す事(くとぅ)ぬ、身(み)に余(あま)てぃどぅ狂(ふ)りてぃ居(うぅ)ゆる。」これは、精神病学的、哲学的な発言である。人間の精神にはそれに耐えられる限界がある。その限界を越えると人間の精神は崩壊してしまうのである。現代の社会には、精神の限界を越えようとする危機にある人たちがどれほど存在することだろう。「銘苅子」で「飛(とぅ)び絹(ぢん)」・「羽衣」を取り返して天界に帰った母。うわさを聞いた首里王府は、銘苅子を国王の側近にとりたて、子供二人はそれぞれ首里城内で育てられることになった。銘苅子のセリフである。「夢(いみ)やちょん見(ん)だん百果報(むむかふ)どぅ付(つぃ)ちゃる。」天界へ去った天女をよそに有頂天な喜びようである。「浮世(うちゆ)楽々(らくらく)とぅ暮(く)らす」、現実的、現世利益的な生き方が彼らの夢だったのである。はたして現代の世界はどうであろうか。現在の人たちの方がもっと能天気なのではないか。地位・名誉・お金、それに執着することが当然のことのようである。地位・名誉が原因の殺人・犯罪は普通であり、お金のために人を殺し、自分を殺す人たちが山のような世界である。地位・名誉・お金が幻想であることに気づいていないことでは現代の世界も「組踊」の世界も全く同じなのである。人間の精神世界・内面世界は、ほとんど全く変わらないのである。むしろ過激に退化していると言ったほうがよい。「手水の縁」は封建社会に挑戦した作品である。結婚は親が決めるのが当然であり、子どもはそれに従うしかなかった。身分違いの結婚は許されなかった。玉津と山戸はその社会に立ち向かった。恋愛至上主義であり、ロマンチストであった。ついに二人は結ばれた。いつの時代にもその社会制度に敢然と立ち向かう人たちがいて、ほとんどが敗れ去る。しかし、何が正しく何が正しくないかを決めるのは社会ではなく、個人そのものである。そのような事などを我々にいろいろと問いかける「組踊の脚本」は間違いなく「文学」である。